こんにちは、はるまきです。
映画は、「気になった作品を年に何本か見る、気に入ったら同じものを2度3度見る」程度には好きです。
今回は、インド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」の感想。
ストーリーをぜんぶ追っていく、という意味のネタバレではないですが、場面にまったく触れないで感想を書くのはムリなので、そういう意味ではネタバレです。
というかね、映画界のこと詳しくないけれど、配給が大手ではないみたいだし、今回のロードショー上映が終わったら見るチャンスはなさげですから、
本当は、「いますぐこの画面閉じて映画館にGO!」と言いたいです(笑)。
「バギュランギおじさんと、小さな迷子」おはなし
パキスタン、カシミールの山地で、ヤギを飼い、素朴に暮らす村に生まれたシャヒーダー。
クリケットの人気選手の名前をもらったかわいい女の子ですが、6才になっても声が出せません。
村の古老のアドバイスで、お母さんとシャヒーダーはインドのデリーにあるモスクにお参りに行きますが、パキスタンに帰るときにシャヒーダーだけがインドに取り残され、デリーに逆戻りしてしまいます。
シャヒーダーは、ハヌマーン神の熱心な信者であるパワン、という青年に出会い、
パワンはシャヒーダーが親とはぐれた、という状況以外なにも分からないまま、家に連れ帰り、名前が分からないので「ムンニー(Munni)」と呼ぶことにします。
ところが、ムンニがパキスタンのイスラム教徒であることが分かり、パワンも周囲も大困惑。パワンが居候する家の主人(パワンの恋人のお父さん)は「すぐにパキスタンに追い返せ」と激怒。
一度はムンニから手を引こうとしたパワンですが、ついに、自分が彼女を親の元に送り届ける決心をします。
パスポートもビザもないまま、旅に出たパワンとムンニは・・・
2時間半が長くない!
「バギュランギおじさんと、小さな迷子」上映時間150分。
邦画やアメリカ映画では最近は2時間を超える作品はあまりないですが、考えてみたらミュージカルの舞台って、だいたい2時間半程度(休憩時間除く)だからそんなに長いわけでもないか。
日本の映画上映ではインターミッションが入らないから、2時間半ずっと座ってなきゃならないのがしんどいですけれどね。
インドでは、短め映画でも必ず休憩があって、サモサやチャイを買うのが楽しみだそう。
この「バギュランギおじさんと、小さな迷子」、2時間半の構成力がすごい。
バジュランギおじさんことパワンと、迷子(シャヒーダー)の出会いはハヌマーン神のお祭りの最中。シャヒーダーが受けた鮮烈な印象が、赤を基調にした色彩や音楽で観客にも伝わってくるし、主人公が一見さえない青年ながら、ただものではないな、という感じもこのシーンで分かる。
お祭りの後、パワンは見知らぬ女の子についてこられてしまい、仕方なく連れ帰ることにします。
バスの中で、パワンは成り行きで、他の客たちに、運動もダメ勉強もダメで父から「ゼロ」と呼ばれていた子供時代のこと、地元から父の知り合いを頼ってデリーにやってきた経緯や、その家の娘ラシュカーと恋仲になり、結婚資金を貯めている最中であることを語ります。
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すんごいはしょりました。
最初、え?ここでおっさんの回想シーンなの?ってびっくりしたんですが、
パワンの性格や、周囲の人との関係性が分かり、笑いやミュージカルシーンを織り交ぜているので冗長にならず、基本的にコメディである作品の世界観も分かります。
もう一つ、音楽がすごく印象的なのが、パキスタンの聖廟のシーン。
祈りの歌”Bhar Do Jholi Meri”(宗教的な歌詞で、スーフィズムにルーツがある音楽らしいけれど、大衆性もある)が流れる中、
シャヒーダーを連れ、パキスタンの人々と共に祈りの場に座るパワン、
インターネットでパワンとシャヒーダーのことを世論に訴えようとするチャワンド、
パワンをインドのスパイとして追う警察、
そして、インドに取り残された娘のために祈りにきたシャヒーダーの母、
など、人々が交錯して緊迫感もあるし、
なにしろ、歌っているおっさん(超・有名な歌手の方らしい)のパフォーマンスがめちゃめちゃかっこいい。
そしてこの場面はパワンの心の転換点でもあります。
パワンはバカ正直で真面目だからこそ、頑固で、排他的な面もあるんです。
シャヒーダーがイスラム教徒だと分かったときに、「騙された!」と言ってしまうくらいに。
しかし、ムスクにかくまってくれた老イマーム(師)の、
「ムスクは誰にでも開かれた場所だ。異教徒だから入れないなんてことはないよ。」
という言葉や、別れ際、彼がハヌマーン神を信仰するパワンのために「ラーマ、ばんざい」と言ってくれたことを通して、だんだん、変わっていったんだと思います。
この聖廟の場面でパワンはほとんど話しません。
最初は、これまでと同じように、ムスクに足を踏み入れることを躊躇しますが、
他の人々がリボンを結んで願い事をする場で、自分の手首のヒモ(※)を外して同じように結び、祈りの場でムスリムの人たちといっしよに座って歌を聴いているうちに、パワンの心境の変化が、信じる神は違っても、祈る心は同じだ、と得心したように思えるのです。
※赤いヒモはハヌマーン神の寺院で結んでもらうものだとのこと。
名シーンだと思います。
シャヒーダーがとにかく可愛い!
映画の中でも、シャヒーダーの故郷の風景がスイスに似ている、というネタがあるんですが、
山岳地帯で、ヤギを買い、神を信じて質素に暮らして村の生活のイメージもあって、シャヒーダーは「ハイジ」みたいなんですよね。
シャヒーダーがかわいい、は映画を見た人全員がいうので私は言わなくてもいいかなーと思ったんですけれど、やっぱり言っておきます。
デリーの食堂で、他の親子が仲良くごはんを食べている様子を見て、パキスタンのママを思い出して静かに涙を流す姿が、あんなのを見たらどうやっても家に帰してあげたくなります。
俳優さんがカッコいい!
私は、インド映画は2018年に、「バーフバリ」1、2と、同じ監督が作った「マッキー」「マガディーラ」を見てますが、これらはトリウッド作品。
ずーっと昔に「ラジュー出世する」(シャー・ルク・カーン主演)を見たけれど、今のボリウッドの状況とかぜんぜん知らないんですよね。
この映画を見る前も、予告PVとチラシをさらっと読んだくらいでほぼ予備知識はなかったんです。
主人公のパワンは、「バカ」がつく正直者でウソが付けない、学校を出るのに10年もかかり、父親の知り合いを頼ってデリーに来て居候している(そういえば、具体的にはどういう職業なのか?不明でした)、まあ、社会的にはパッとしない男なんですね。
でも要所要所で、すんごいキメ顔だし、実際よく見ると美形だし、脱ぐと筋肉すごいし、「あれ・・・?」と思っていたんです。
そうしたら、主演のサルマン・カーンは、インドでは三大カーンと言われる「カーン」の一人、大スターだそう。
1965年生まれなので、映画撮影当時40代後半ですが、アラサーくらいのパワンを演じていてもまあ、そうかな、と思いますし。
「組み合うとくすぐったがるのでレスリングでは勝てない」パワンが、ブチ切れるとめちゃめちゃ強い、まさに神!というシーンが何度かあるんですが、これは本来「兄貴」キャラである、サルマン・カーンの見せ場を作る、という意味もあるのかな?
それから、パキスタン側のフリージャーナリスト/チャンド・ナワーブ役のナワーズッディーン・シッディーキー。
小柄なので(あとスタートが端役だったということで)、インド映画では主役にはならないんでしょうけれど、後から動画でよーく見ると、なかなか精悍な顔立ちをしていらっしゃる。
”Bhar Do Jholi Mer”を歌うパキスタンの歌手役、アドナーン・サミー。有名な歌手なんですね。
個人的には、この映画の中で、この人が一番素敵、と思いました。
主人公の恋人がかっこいい!
ラスィカー役のカリーナ・カプールは、写真で見ると私はどうしても小〇幸子さんを連想してしまうんですけれど、
映画で動いていると、ラスィカーの凛としたところと温かさの両面が伝わってくる表情が素敵でした。
ラスィカーは小学校教師、というキャリアがあり、現代的でかっこいい女性です。
パワンを愛しているけれど、彼のかたくななところにはきちんと反論するし、
パワンが居候の立場に遠慮してラスィカーの縁談に口をはさめないでいると、自分でさっさと「私はこの人と結婚します」と宣言しちゃう。
(しかし、だったら家に来る前に言ってくれ!という相手方の言い分はもっともです・・・)
正直を貫く、という覚悟
パワンがバカ正直で「いられる」のは、周りの人達が彼に変わって、ウソをついてくれているからじゃないか?言い方は悪いけれどそれに乗っかっているんじゃないか?とも思ったんですが、
終盤になるにしたがい、パワンはどんどん覚悟を試されることになり、何度も死ぬような目にあい、それでも
正直さを貫きます。もはや命がけです。
ああ、これは世の中における役割の違いだなと思いました。
パワンは他の生き方はできないし、他の人もパワンのようには生きられない、でもそれぞれが自分のできることをがんばっている。
ただ、1人だけ、このパワンの正直さに動かされずどうしても自白を強要しようとしたパキスタンの政治家(?)の人が役どころとしてちょっと、うーんとは思いました。
他の人物は深く描かれているだけに、この人だけデフォルメされた悪役になっているのがもったいないというか。
でもそれをもふっとばすくらい映画全体は良かったです。
ラストはどうなる?
キャッチコピーが
「700キロの二人旅が、世界を笑顔に変えていく・・・」
なので、後味の悪い終わり方はしないんだろうな、と予想していましたが、
はい、
そのとおりです。
シャヒーダーを池に送り届けたらこっそりインドに帰る、というわけには行かなくなり、この状況をどうひっくりかえすのか?とギリギリまでハラハラさせられました。
しかし、変にひねった衝撃のラスト!などではなく、ちゃんとハッピーエンドです。
ラストシーンで、シャヒーダーが言う二つの言葉も前半に伏線が張られているし、
最初にシャヒーダーがインドに来た理由であるところの「願掛け」も,ここで回収されているんですよね。
まとめ
日本に入ってくるインド映画は、年間何百本と制作されている中でもえりすぐりのものなんだから、面白くないわけがない、という話を聞いたことがあるんですが、ほんといろんな意味で完成度が高い作品だな、と思いました。
パスポートなし、ビザなしの密入国、って無謀というよりもバッチリ犯罪です。数十年前の話ならともかく、現代社会でそれをやったら確実にバレるし殺されちゃってもしょうがない行為なんですが、そうせざるを得なかった背景もちゃんと話の流れの中に入っていました。
シャヒーダーを家に置いておけない、というラスィカーのおやじさんたちの感情の元が、政治的な対立だけではなく、宗教とか、ベジVS肉食の「食べるものの違い」など、日常的な問題にも関わっていることが、細かく伝わってくるようになっているし。
極彩色で派手派手なヒンディー文化とスーフィズムの陶酔と、
デリーの都会の風景とカシミールでヤギを飼って暮らす人々の姿と、
そして砂漠と雪山。
いろんな文化や環境の対比が見られるのも面白く、戦闘(?)シーンでスカッとするカタルシスもある。
そして、泣ける。
でも、「泣ける」なんて言うまでもなく、そこはもうおまけでもいいか、というくらい。
(でもタオルは持って行った方がいい)
お得です。