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映画『天気の子』見てから1ヶ月半後の感想|新海作品初見・考察なし・ネタバレあり

天気の子感想

『天気の子』を見たのは7月後半なのですが、
感想が、文章に書けるくらいの形をなすまで1ヶ月半かかってしまいました。

私は新海誠監督については名前くらいしか知らず、『君の名は』も見ていません。

知人のライター氏が、

クライマックスについて「新海ワールドらしい疾走感」というような表現をしていたけれど、

その深海ワールドが分かりません。
(疾走感は感じました)

アニメは、たまに興味を惹かれたら見る程度。

他の最近のアニメ作品と比較してここが新海作品らしいなんてことも分からないし、
別の作品のキャラクターのカメオ出演(?)やオマージュも映画を見ている間は分かりませんでした。

こんな感じで

アニメに特に強い興味がない大人が『天気の子』を一本の映画として見た感想です。

私がずっと引っかかっていたのは、
映画の中で取られた選択についてなので、ネタバレです。

面白いか、面白くなかったか、でいうと、面白かったし、
ここまで引っ張ったという意味で心を動かされたのだと思います。

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アニメが特に好きでなくても見やすい「映画」

アニメはあまり見ないのですが、
たまに見ると、アニメ独特の表現が気になってしまうことがあります。
先月、たまたま家族が見ていたので付き合って2週間くらいで全話見た『四月は君の嘘』では、
最初アニメアテレコ独特のクセが気になってしまいました。

『天気の子』では、アニメ声優ではない俳優が多く配置されているためか、
人は振り返るとき「んんっ?」て言わんだろ、みたいな引っかかりはあまり感じませんでした。
あれはある種のジャパニーズアニメーションのお約束として、慣れればいいのかかもしれませんけれど。

その点では「天気の子」は、アニメ声優以外からの配役が多い、ジブリ映画や、ディズニーの吹き替え版に雰囲気が似てるかもしれません。

映画の舞台となった新宿~代々木、奥神楽坂、田端、お台場など、東京の実在の場所が克明に描かれていて、

はるまき
はるまき
ここまでやるなら実写でいいのでは?

と思わなくもなかったんですが、

気象現象や、ファンタジックな場面で実写にCGを組み合わせるよりも、
アニメだからこそ、リアルなだけでなく、詩的な美しさが表せたのでしょう。

特に気象現象の描写は、気象庁気象研究所の荒木健太郎さんが監修に入っている(映画にも本人役で出演)ので、
すごく見ごたえがあります。

雲の中では何が起こっているのか (BERET SCIENCE)
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私のように普段特にアニメをたくさん見ない人も、
「表現手法としてアニメを選択した映画」
として見られると思います。

ストーリーについての感想

物語は、高校生の帆高が、夏休みを前に神津島から東京に家出してくるところから始まるんですけれど、
具体的にいじめがあったなどの原因ではなさそうなんですよね。
このまま進んでいっても、先が知れてる感みたいな息苦しさなのかな。

映画の冒頭で、

「僕たちは世界の形を変えてしまった」

という帆高の声のナレーションがあって、実際、そういう展開になるんですけれど、

世界の形を変えた、というのは、
気象変化よりもむしろ、

1000年単位くらいで続いてきた、
「ひとりを人柱になって共同体の安寧を図る」
という価値観や構造の否定、という意味なんじゃないか、と思います。

帆高個人の物語としては、一応、そんなに悪くない着地をしたと思うので
そこがバッドエンドでなかったのはよかったんですが、

全体としては本当にこれでいいのかな。

とどうしても思ってしまいます。

天気の子

(提携各社のテレビCMのトーンで、ひどく暗い終わり方じゃないんだろうな、という予想はしていましたが)

天気の巫女は人柱、というのが、実効力のない因習だったら
私もそんないらんやろ、一択なんですが、

この世界観の中では、天気の巫女が気象のバランスを取り戻してきたことが事実になっていて
今回はそれをやめたことで、東京は雨が降りっぱなしになる。

3年後の東京は、水没は水没でいつの間にかそれを飲み込んで、またふつうに動き出しているように見えます。
水上バスが行き交い、水没した地域に住んでいた人たちは水没していない地域に移住。

これだけのことがあっても
東京が首都であり続けているのが非現実的なようでもあり
実際そうかもな、という気もします。

小説版によると、山手線は一部水没して環状ではなくなったそう。

小説 天気の子 (角川文庫)
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映画でも小説でもあまりネガティブな描写はなかったけれど、
毎日湿度が高いわけだから、今までなかった感染症が出てきたり、
生き物も随分地域絶滅しちゃったでしょうね。

上野動物園あたりも水没だろうなあ。
多摩動物公園は西側なので沈んでいなそうだけど、
キリンなどの高湿度に強くない動物は他県に移動しないと死んじゃいそう。

ひと月半、「天気の子」の情報に触れるたびにポツポツ考えた結果、

私は、やっぱり東京に晴れた日がある方がいいです。

誰も犠牲にしないし、晴れも取り戻す、
という方向を目指す物語のほうが、どちらかに失敗したとしてもすっきりしただろうな。
そういうことが描きたかったんじゃないのでしょうけれど。

自分が圭介のように直接2人に関わっていたら、目の前の少年少女を応援するかもしれない。

個人的な関わりがなく、
陽菜のために東京に天気が戻らなくなったという情報だけ知ったら、それでいいよ、とは思えない気がします。

世界を根底から動かすような変化は、
声の荒げる「運動」ではなく、
気づかれないところで行われる続ける選択によって起こる、
というところには共感できました。

まとめというか補足

今から思うと、

映画を見た直後から、

はるまき
はるまき
え、雨降りっぱなしじゃ困る

という気持ちがけっこう強くあったんですね(苦笑)。

といって、陽菜に犠牲になれ、というのもどうかとは思うし、

結局、そこのまとまらない気持ちはまとまらないまま、書いてみました。

それから、

映画の前半で、帆高と陽菜が晴れ女サービスを始めたところは、

これが原因で炎上とかするんじゃないかってハラハラしていたんですよ。
そういう展開がすごく苦手なので、

そうしたら、テレビに出たことで依頼が殺到して数がさばききれなくなったので休止します、
という感じだったので、そこはホッとしました。



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